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猛暑再び? 「世界的に高温」NASA予測

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痛い!!==>








猛暑再び? 「世界的に高温」NASA予測


 日差しが少しずつ強まり、ゴールデンウイークの日本列島では早くも夏を思わせる陽気の所も。こうなると、昨夏の記録的猛暑の記憶もよみがえる。この夏も、あの厳しい暑さに見舞われるのだろうか。

 高い海水温

 「今夏も昨年同様の猛暑になるでしょう」と予測するのは、日本気象協会予測情報課の清水輝和子技師(気象予報士)。「太平洋の赤道付近の海水温が高く、日本に好天をもたらす太平洋高気圧が強まるとみられるからです」。海水温が高くなると大気の対流が活発になり、気流が下降する時に高気圧が発達するという。
 世界全体の平均気温が上がる可能性が高いことも、日本の猛暑を予測する大きな理由だ。清水技師によると、米航空宇宙局(NASA)は今年の世界の年平均気温について、過去最高だった98年の14.68度(過去30年の平均値+0.64度)を上回ると予想している。清水技師は「世界の平均気温が高かった上位10年のうち6年で、東日本を中心に猛暑の夏になっています」と、連動性を指摘。「今年は、日本に冷夏をもたらすエルニーニョ現象が現れる可能性も低い」と話す。
 気象庁も6~8月の平均気温について、ほぼ全国的に平年並みか平年より高くなると見ている。

  経済打撃

 昨夏は全国的に真夏日(最高気温30度以上)が続いた。通算日数は熊本の105日を筆頭に大阪93日、東京70日など全国12地点で記録を更新。年平均気温も東日本では1.3度高く、1946年の統計開始以来最高だった。
 この暑さは国内経済を直撃した。経済産業省によると、鉱工業部門では04年7・8月の前期比伸び率はマイナスだったが、エアコンや冷蔵庫、ビールなど猛暑関連の13品目がプラスに。一方、百貨店などでは8月の秋物衣料の売り上げが不振で、東京ディズニーランドなどのレジャー施設もあまりの暑さに入場者が減るなどの打撃を受けた。日本電気大型店協会は「猛暑はありがたいが、在庫調整など天候変動への対応は簡単ではない」と打ち明ける。

  保険の新商品も

 天候によるリスク回避に動く企業も少なくない。全国14地区が独自生産していた日本コカ・コーラでは、5月から全地区の生産を統括する別会社が本格スタート。「東京で品薄になれば北海道で増産するなど、敏速な対応が可能になった」という。大手の気象情報会社「ウェザーニューズ」(東京都港区)は、企業への気象データ提供だけでなく、コンビニエンスストアに天候に応じて売れる商品配置を提案するなどの業務支援サービスを行っている。
 猛暑による企業の損失などを補てんする保険商品「天候デリバティブ」は昨年度、約2000件、400億円以上の契約があったという推計もある。「異常気象が多い近年、需要は高まるばかり」と三井住友銀行。5月に、猛暑や冷夏などに対応する新商品を発売予定の損保ジャパンは「既に100件近い企業から問い合わせがあった」と話している。
◇世界の年平均気温上位10年と日本の夏の関係
        世 界  日本の夏の主な天候
(1)98年  0.64 ☆夏型安定せず
(2)02年  0.54 ☆東日本以西高温
(3)03年  0.5  北~西日本低温
(4)04年  0.45 北~西日本高温
(5)01年  0.43 東日本以西高温
(6)90年  0.43 梅雨期から猛暑
(7)99年  0.4  北、東日本高温
(8)95年  0.35 盛夏期高温
(9)97年  0.28 ☆梅雨後半活発
(10)88年 0.28 夏型不安定
 清水技師。気象庁の資料などから作成。「世界」の数値は平年偏差(度)。☆印は夏のエルニーニョ発生。

<コメント>

いやー,ありがたくないニュースです。



尼崎脱線事故 1両目にいた久田記者 事故前後リアルに再現


 107人が死亡した兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故で、大破した1両目車両に、毎日新聞大阪経済部の久田宏記者(30)が乗っていた。久田記者は25、26日と通院し、頭部や顔面打撲の後遺症の心配はほぼないと診断されたが、仕事にはまだ復帰していない。事故からまもなく1週間。ようやく断片的によみがえってきた記憶をもとに、事故発生前後を再現した。
  ゆっくりと傾いていく…
 25日朝、JR川西池田駅から快速電車に乗った。いつものように、降車後、仕事場に行くのに都合のいい1両目だ。空席はなく、最後部ドアのやや前、進行方向右側に立った。パソコンバッグを網棚に置き、右手でつり革をつかんだ。
 伊丹駅に着いた。「行き過ぎたんじゃないか」。近くの乗客の声で振り返ると、いつも伊丹駅を過ぎたところで見える集合住宅が目に入り、オーバーランしたと気付いた。「車両が行き過ぎました」という車内アナウンスの後、バックして定位置に戻った。バックするスピードはゆっくりではなかったが、そんなに速いとも感じなかった。
 伊丹駅発車後、考え事をしていてよく覚えていないが、スピードは異常というほど速いとは感じなかった。福知山線の快速は時間調整のためにけっこう速く走ることをこれまでも何度か経験していた。普段遅れているときと同じように急いでいるなという程度の印象だった。
 車両が不自然に左右に揺れて、現実に引き戻された。「ポイントを通過したにしては揺れが激しい」。急に不安が広がり、後方に目をやると、1両目が2両目の車体より外側にゆっくりと傾いていく光景がスローモーションで目に入った。車内に「ウオー」と声にならない悲鳴が響く。
 「事故になる!」。全身に力が入った。次の瞬間、車両が何かに打ちつけられた。レールではない場所を動いているという感覚は一瞬あったが、事故時の記憶はそこまでしか残っていない。
 気がつくと、私は右手1本でつり革にぶらさがっていた。夢中で放さなかったのか、硬直して離れなかったのかは分からない。ただ、反対側のつり革をつかんでいたら、横転して地面と接触した電車の左側面にたたきつけられていただろう。
 周囲は暗かった。前方にわずかに差し込んでいた光の中、自分の鼻から2本の筋となって鼻血が噴き出しているのがわかった。「鼻を打ったか」と直感したと同時に「生きている」と安堵(あんど)感がわいた。痛みは感じなかった。つり革を離すと、両足で着地できた。両手足も無事だと実感した。
 周りには、両手が辛うじて伸ばせる程度の空間があった。眼鏡が吹き飛んでいたため、はっきりとは見えなかったが、空間に奥行きはなく、絡み合った金属に囲まれているような印象だった。
 斜め上から差し込む光の方から足元付近まで、格子状に穴の開いた薄い鉄板が45度ぐらいの角度で延び、女性がよじ登っていた。「脱出できる」と直感し、両手で鉄板をつかみ足をかけて、女性の後に続いた。鉄板は駐車場の一部で、車両の窓から突き刺さっていたのではないだろうか。
 絡み合っている鉄骨やパイプの間に、私の体(177センチ、79キロ)がようやくくぐりぬけられるすき間があった。このころになって初めて、車内の奥から声にならない悲鳴、泣き声がすることに気付いた。すき間から出るときにスーツの左肩が金網に引っかかった。無理やり伸び上がると、スーツは破れたがすき間から抜け出せた。足を踏み出したところはアスファルトだった。
 振り向くと、もつれ合う鉄骨の中に傾いた自動車が何台もあった。見上げるとマンション。「電車に乗っていたのに、なぜこんなところから出てきたんだろう」と思った。別の若い女性が、私が登ってきた下の付近にいたので「落ち着いて登って」と声をかけ、手を取って引き上げた。続いて若い男性も引き上げた。
 近くの人が集まってきたので救助を任せて、駐車場前の敷地の端に座っていると、タオルや氷を持ってきた人に「頭から血が出ていますよ」と声をかけられた。渡されたタオルを頭頂部付近にあてると、血がべったりつき、頭を切っていることに初めて気付いた。傷は10センチ、全治3週間の診断だった。

  車内の様子
 先頭車両は定員150人で、事故当時、座席はほとんど埋まり、立っている乗客はまばらな込み具合だったという。脱線した後はマンション1階立体駐車場に突っ込み、長さ20メートルの車体は半分の10メートル前後に押しつぶされた。死者の約3割は1両目の乗客とみられ、床の鉄板を破って地下部分にめり込んだ先頭部分に犠牲者が多いとみられる。 
  事故にどう向き合えばいいのか

 私が助かったのは、運が良かったと言うしかないのかもしれない。しかし、そう考えるとかえって死を意識して、残される妻と2人の子供がたいへんだろう、悲しませてしまう、などの思いがこみ上げてくるので、今はあえて考えないようにしている。ただ、乗り合わせた新聞記者として、事故を記録しておくのは、最低限の使命であると思い、思い出す限りのことをつづった。だが、この事故にどう向き合えばいいのか、まだ考えはまとまっていない。

<コメント>

毎日の記者がたまたま乗り合わせていたわけですが,生々しい様子が伝わってきます。



日本人妻帰北 平壌行き 北朝鮮が説得か 瀋陽の領事館で

 北朝鮮を脱出して日本に帰国したが、再び北朝鮮に戻った元日本人配偶者の平島筆子さん(66)が「長男の嫁に会う」と言って中国東北部・遼寧省瀋陽に渡った直後、北朝鮮側の指示で北朝鮮総領事館に連れて行かれたことが29日、中朝関係筋の証言で分かった。平島さんは瀋陽で親族に会ったが、その際、親族に同行した北朝鮮側の関係者と接触したという。渡航直前、平島さんは「長男の嫁が北朝鮮から出てくる」と言って往復切符で日本を出発したが、瀋陽滞在中に北朝鮮行きを説得された可能性が浮上した。
 平島さんは1959年12月の帰国事業で在日朝鮮人の夫と北朝鮮に渡り、02年11月に中国に脱出した後、03年1月、日本に帰国。だが、今月18日、北京の北朝鮮大使館で記者会見を開き、北朝鮮行きの意思を表明し、翌日、平壌に渡った。
 中朝関係筋によると、平島さんは今月7日、瀋陽に到着し、その足で親族との待ち合わせ場所に向かった。親族は北朝鮮側の関係者に付き添われて現れ、一緒に瀋陽の北朝鮮総領事館に連れて行かれたという。その際、北朝鮮行きについての話し合いがもたれたとみられ、平島さんが承諾した後、総領事館が準備した車両で北京の北朝鮮大使館まで移動したという。
 平島さんには昨年5月中旬、長男が死亡したとする手紙が届けられたが、平島さんが中国滞在中に長男に会ったという情報もある。日朝関係筋は「最終的に北朝鮮行きを決断したのは平島さんだが、自発的なのかどうかは不明だ」と証言した。
 平島さんは28日、平壌で記者会見を開き、「(北京の)朝鮮(北朝鮮)大使館を訪れて帰国の意思を表明した」と説明していた。

<コメント>

とにかく腑に落ちない話。平島さんの無事をお祈りいたしております。



古田が1軍外れる 打撲で全治1週間と診断


 ヤクルトは30日、古田敦也捕手の出場選手登録を抹消した。
 27日の巨人戦でファウルを股間(こかん)に受け「打撲で全治1週間」と診断された同捕手は、29日夜に38度の熱が出たという。この日、熱は37度まで下がったが、安静が必要なため、1軍を離れることになった。堀内チーフトレーナーは「下手に体を動かすと(患部の)出血が増える。(治るまで)1週間くらいかかるでしょう」と見通しを語った。

<コメント>

早く良くなってきてください。


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7つ葉のクローバー発見
by afternoon_news | 2005-05-01 10:40 | ニュース
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